変わりゆく σ(^_^) の 横浜

  2001年 春

横浜を離れて、まもなく5年。あのころ、もう遅いだろうけれど街のビデオでも撮っておこうか、
と思いつつ結局撮らずじまい。あの当時、だいぶ変わってきたのでもうこれ以上変わらないだろう
と思っていたら、これまたドンドン変わっていく。……もう帰るところがない?

このページを作る決意を固めた情景。
関内の丸井が消えた!!できたのはついこの間のような
気がしたが。
マンションが建つらしい。







まずは馬車道
ユーリンファボリの階段から、旧スエヒロと40年以上
変わらない我が鳳(オオトリ)ビルこの前の道も、現在は一方
通行だが、かつては対面通行だった。路線バスも走っていた。







関内地区の再開発。
一時、住宅が激減していたけれど、今はマンション建設が多い。
昭和40年頃の関内地区の人口は3000人といわれ、
昭和60年頃は1000人くらいといわれていた。(確認してません)
これからは人口が増えるでしょう。







大岡川にかかる大江橋
おおむね概観は、長らく変化はない。よく見るとそうでもないけれど。
サッポロビールのビルはちょっと古い部類か。

むかしは大岡川にはハシケがいっぱい係留されていた。
船上生活をしている人もいたようだった。
晩夏、クラゲがたくさん浮いていた。






上の写真の反対方向を見たところ
大岡川にかかる弁天橋

この方向は、かつての面影はまるでなし。
きれいになったといえばそうだが、地元住民としては感慨深げ。







桜木町駅から関内に向かう歩道橋。
旧桜木町駅舎の正面。










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