月刊 ウォーター・ビジョン 2000年6月号
     山下好の人物紹介 NO.3


君は「竹之内修」を知っているか?!

〜私の人生、全て「たまたま」がつくんです〜

竹之内修 ブルー系のワイシャツに、オシャレなベスト。なぜか
袖をめくっている姿が、彼のファッションキーワードと
なっている。
 そんな彼の仕事場は、三島市郷土資料館。さらに
清水町の町史編纂にも携わっている。見るからに歴
史に詳しそう、と感じさせる雰囲気を漂わせている。
 実は、彼は横浜出身。4年前突然韮山にやってきた。
 どうやら、バリバリに働いていたらしい。そんな彼が、
なぜ静岡県東部の韮山に移り住むことになったかは、
のちほど紹介するとして、まずは単純に「なぜ、歴史に
興味を持ったのか?」を尋ねると「仮面ライダーの藤岡
弘が演じていた、大河ドラマ『勝海舟』の坂本龍馬がかっ
こよかったし、仮面ライダーが演じる歴史の人だから、
きっと凄い人なんだろうな、と思ってました」、と意外な歴
史へのきっかけを話してくれた。
 「あ、そういえば、私、自分の名前の由来がわかんないんです。名付け親のおじいさんは何も言わずに死ん
じゃったし、小学校一年生の時、みんなの前で答えられなかったことを覚えている。その頃から、自分のルーツ
探しには興味があった」と昔を振り返って、照れくさそうに笑った。
 彼の関心事は、学生時代、ボーイスカウト活動、短波放送、「東ヨーロッパ」と多方面にわたる。特に、東ドイツ、
チェコスロバキア等の東ヨーロッパ大好き青年は、今までに六回も訪れているという。結構、マニアックである。
 彼の人生を変える、大学の先生の台詞。「今の博物館 (陳列だけで) これでいいのですか?」で完全に目覚め、
明治大学の政経学部在籍で、学芸員の資格を取った。
 これは常識では考えられないコースである。「本当に朝から晩まで、人生
の中で一番勉強をしたと思う」と、当時
を思い出していた。
 その後、國學院の史学科に夜間部に編入。親にも相談せず、学費も昼間働いて通った。「大学も、自分の働い
た金で行くといい、休講になると非常に腹が立つ」という。そして「博物館に勤めたい」という願望のために、活動を
展開する。
 本屋に勤めた経験は、今でも「雑誌なら誰にも負けない」という自信につながっているようだ。しかし、24時間
体制の勤務はつらかった、地方に行けば、24時間はないだろうというのが、縁もゆかりもない韮山に移り住むこと
になった原因らしい。
 歴史上、韮山は元気な人が多くいる。風水的には、エネルギーがあるのではないか、と真剣に考えている様子が
伺える。
 「私の人生、全て『たまたま』がつくんです」と語る彼のもう一面は、水族館大好き青年である。ある日、神奈川新
聞で油壺マリンパークにいるアシカの赤ちゃんに魅了される。それから毎週アシカを見に行った。次第に全頭の
アシカの名前を覚え、見分けられるようになった。それからは国内、海外を問わず水族館めぐりをするようになった。
やっぱり、マニアックである。「魚の特性を生かした、お魚サーカスは面白いですよ」と無邪気に笑う。韮山に住んだ
理由のひとつに「三津シーパラダイスが近い」が入っていたようだ。
 話を歴史に戻し「今後の予定は?」の質問に対しては「世相史を研究していきたいと思っているんです。民俗の
ようなロングセラーではなく、風俗のような流行、言い換えれば旬のベストセラーをまとめていきたいんです、博物館
の垣根を少しでも低くすることが私の役目なのかな、勿論、ライバルはディスニーランドですよ」とニヤっと笑った。
 「博物館って、人間の再発見の場なんです」とまとめた彼は、この仕事を天命と感じ、楽しんでいるようである。 

                                                                      (やました このみ)


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