東ドイツ旅行記 3

ヨーロッパ大旅行 1987年8月25日~9月16日

8月25日(火) 出国
8月26日(水) チューリッヒ → ミラノ 泊
8月27日(木) ミラノ → ボローニヤ Sassuolo 泊
8月28日(金) ボローニヤ → フィレンツェ経由 PoneteDora → ピサ
8月29日(土) フィレンツェ観光 Lucca観光
8月30日(日) シエナ観光
8月31日(月) ピサ観光 → 夜行
9月 1日(火) バルセロナ泊
9月 2日(水) バルセロナ泊
9月 3日(木) バルセロナ泊
9月 4日(金) バ ルセロナ → コペンハーゲン泊
9月 5日(土) マルメ → Jonkjoping 
9月 6日(日) Jonkjoping → Anderstorp
9月 7日(月) Jonkjoping → 夜行
9月 8日(火) ベル リン エジプト博物館、郷土博物館
9月 9日(水) ベルリン 宮殿、壁博物館、東ベルリン
9月10日(木) ポツダム・ツ アー サンスーシー宮殿、チェチィリーン・ホーフ
9月11日(金) ベルリン 帝国議会 → Zittau/Wittgendorf
9月12日(土) チェコ国境
9月13日(日) ドレスデン → 夜行
9月14日(月) ミュンヘン → マイエンフェルト泊
9月15日(火) チューリッヒ → 帰国(9月16日)

 ドイツ編
西ベルリン

ベルリン
帝国議事堂

ベルリン
動物園の危険な品物
ベルリン
ベルリンのパンダ
ベルリンの壁 付近
ベルリンの壁
壁と東独監視塔
ベルリンの壁
チャーリー・チェックポイント
 
東ベルリン
チャーリーチェックポンイントを入ってすぐの東ベルリン市街
東ベルリン
ウンターデンリンデンのベルリン大聖堂とテレビ塔
東ベルリン
共和国宮殿とトラバント
ポツダム
ポツダム
ポツダムを望む
ポツダム宮殿サンスーシー
ポツダム
宮殿サンスーシー
ポツダム
宮殿チェチリーン・ホーフ

ポツダム
ポツダム会議の開かれた
テーブル

ポツダム
サンスーシの中では、靴のままスリッパを履く
ツィタウ

Wittgendorfを望む、
右手はポーランドになる
東ドイツ
レーバウの塔

Wittgendorf
Familie Berkigt
Steveはまだいない

9月 7日  スウェーデン(マルメ駅)から夜行列車で 東ドイツに入る。
        鉄道フェリーに乗る。フェリーの中で東ベルリン一日ビザの申請をする。
        仮眠は車内。

9月 8日  ベルリンZoo駅で日替わりランチを食べた(いい定食だった)。
        25マルクくらいのペンションはどこもいっぱい。
        3泊で60マルクのホテルを見つけた。夕飯はチャーハン。

9月 9日  西ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿に行く、前の考古学博物館は休館日。
        壁博物館に行く。
        チャーリー検問所を通って、徒歩で東ベルリンへ。
        ドイツ歴史博物館は、常設展はしまっていた。

9月10日  市内観光バスでポツダム・ツアーに参加
        西ベルリンから東に行くときの国境で1時間くらいかかった。
        ガイド(男)さんは、英語でも話してくれた。
        昼食はレストラン・ミンスクでとる。
        チェチーリン・ホーフで偉い人の群れと出会い、軍人が道をあけるときに邪険にされた。

9月11日  西ベルリンの旧帝国議会に行く。
        戦争で破壊されたが、内部を博物館として再建。入場無料
        Zittauへ列車で向かう。駅で待っていてくれたとは知らず、タクシーでWittgendorfへ。
        タクシーの運転手はヘンな外国人を乗せているせいか、不安そうだった。運賃は倍の値段。
        家について、お父さんと次女がいて、とりあえず冷たい牛乳を飲んだ、2杯も。

9月12日 ボヘミアングラスが欲しいと言ったら、午前中チェコに行くことになった。
       しかし、国境で断られて、国境で待っていた。その間近くの村をぶらつく。
       グラスセットを買ってきてくれた。
       昼食後、ドライブ。お腹が壊れている。正露丸も効いていない←牛乳のため
       レーバウの塔に上ったが、けっこう怖くててっぺんまではいけなかった。
       レーバウにはナポレオンが2回宿営したことがあり、ロシア軍との闘いで街が血に染まった。
       血の通りという名が残っている。
       夜、長女の彼氏が来る。身長2mのゲルト。
       壁博物館の展示図録をみたりする。「悲しい歴史」だと言っていたのが印象に残る。

9月13日 ドレスデンに行く。
       別れ際に5マルク預ける。
       博物館学芸員が転職だなどいう会話をした。
       ミュンヘン行きの鉄道に乗るには、西ドイツマルクでないと買えない。
       レナーテは、なんかショックを受けていた。
       → 夜行、乗り継いで また車内でパスポートチェックがあり、またビザが問題になり
         足が震えた、2回目だから。周りの人は大丈夫だよと、声をかけてくれた。

9月14日 ミュンヘン → マイエンフェルト泊