旅行記 その1
東ヨーロッパの土を踏む
1984年7月27日〜8月25日
訪問国 西ドイツ・東ドイツ・スイス・オーストリア・ハンガリー・チェコスロバキア
 それまで2年くらいドイツ語を学んでいたハイデルベルク学院(東京・代々木)の仲介でドイツ語研修に
行くことにした。
 “2週間の語学研修+2週間の自由”というコース。
ドイツ語はミュンヘンのDID(Deutsch in deutschland)で。滞在はホームステイで。
ドイツ語研修後
ベルリン  ミュンヘン−空→ベルリン
   8月11日  西ベルリンのEuropaCenterにて知人(日本人・東ドイツWeisswasser在住)と待ち合わせ。
          東ベルリンの入り方、東ドイツ事情を聞いて、翌日東ベルリンで待ち合わせるとして別れる。
          雨のぱらつく中、ブランデンブルグ門の西側の壁のそばのお立ち台から東を見る。
はじめて見るベルリンの壁
落書きがいっぱい
壁の前のお立ち台から東を
見る。壁の向こうに、もう一枚
の壁。壁は二重になっている。
お立ち台に上る旅行者。



   8月12日  10:10 フリードリヒ・シュトラッセで、TranisitとEin Tag Visumを間違えて手間取った。
          博物館島のボーデ博物館、ペルガモン博物館見る。
          マルクスエンゲルス広場〜アレキサンダー広場
          ホテル・メトロポールのロビーで知人と再開。
          ウンター・デン・リンデンを歩いてドイツ歴史博物館。
          17:00西ベルリンへ
共和国宮殿と呼ばれた、
東ドイツの国会議事堂
ブランデンブルグ門
目の前のロープから
立ち入り禁止
旧東ドイツの街角。
トラバントがいっぱい。
ベルリン−空→ミュンヘン−鉄道→マイエンフェルト(スイス・ハイジの里)−鉄道→ミュンヘン
ブダペスト ミュンヘン→ブダペスト

   8月15日  ミュンヘン空港からワルシャワか、プラハかブダペストに行こうとしたら、その20分後に
          ブダペスト便があったので、乗れるかと聞いたらOKだったので、即行!
          夕方、学生ホテルをとってからブダのゲレルトの丘。ソ連軍の記念碑があった。
ブダの丘からペスト地区を見る ブダの丘のカップル 社会主義時代でもライトアップ
で夜景はきれいだった


   8月16日  市内観光 観光バスでBerkigt一家と知り合う。
          バスに乗って席を探しているとき、メリサ(当時15才)の隣に"Ist hier noch frei ?″
          あいてたので隣にすわり、ガイドブック『東ヨーロッパ EastEuropa』を眺めていた。
          最初の観光スポットでバスを降りる時、このガイドブックを目にしたお母さん(Renate)は、
          お父さん(Guenter)になんて書いてある?と聞いて、お父さんが「Ost Europa!」と返答。
          で、Renateにどこから来たかと聞かれたのをきっかけに、ミュンヘンで勉強したことなどを
          話した。
          “Fahren Sie eine Welt Reise?” (世界旅行ですか)と聞かれたのが印象に残る。
          帰り際に、連絡先の書いた紙をくれて、そこでDDR(東ドイツ)の人だと知った。

   8月17日  移動日 ワルシャワに行きたかったが、飛行機がないのでWつながりでウィーンへ飛ぶ。
ブダペスト−空→ウィーン
ウィーン−鉄道→プラハ
プ ラ ハ  ミュンヘン−鉄道→プラハ
   8月19日  午後5時半にウィーンを出て8時半に国境。
カレル橋
 電車の車体を金づちで叩いて調べたり、バッグの中も全部開けて、カメラ・ラジオの
 申告をした。
 4日間以上の滞在は警察に知らせなければいけないそうだ。
 20分くらいの間に3回パスポートを見られた。
 深夜0時にプラハに着き、そのまま駅で雑魚寝。けっこう旅行客が寝袋広げて寝ている。
  のどが渇いて、駅の裏手に人が並んでいるところに行って、リモナーデを買う。
  5時ごろみんな起きだしたようだ。5時半に寝ているとき警察にとがめられて起こされた。
  日曜なので、どこの店も休み。
  朝、街角のアパートのからピアノの音が聞こえたとき、ここもひとつのヨーロッパの町で、一挙手一投足すべてがコントロールされているわけではないと思った。

          いわゆる長い行列は、アイスクリーム屋、飲み物の店によく見られるが、そのほかには
          それ程見かけなかった。
日曜の軍楽隊コンサート ショッピングモール


          旅行で、2,3日では社会主義はわからない。
          いわれているほど、遅れているわけではない。
          ただ古い町並みがそのまま残っているだけ。
          深夜0時、ブラチスラバに向けて出発。 プラハ滞在ちょうど24時間。
ブラチスラバ プラハ−鉄道→ブラチスラバ
   8月20日  朝5時半に到着。道がわからないが町を歩いているとドナウ川に出た。
          朝の出勤時の風景はどこも同じ。
ブラスチラバ駅

 この日、ホテル・キエフでスロバキア人の友達と待ち合わせたいたが、会えずじまいに。

 夕飯を食べに行った所で、向かい合わせの少年から話しかけられた。
 その少年は空手をやっているようだ。ブルースリーがどうのこうの言っていた。

   8月21日  ウィーンへまた行くことにした。
ブラチスラバ−鉄道→ウィーン−鉄道→ミュンヘン
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