第20回 南総里見まつり 館山市 2001年10月21日(日)


毎年10月第3日曜の館山市は、「南総里見まつり」でにぎわいます。
1981年(昭和56)から始まったこのイベントも、今回で20年目。
里見氏は、戦国時代を生き抜いた武将ですが、なんといっても有名なのは
曲亭馬琴の筆による『南総里見八犬伝』。描かれた時代は、戦国時代より
100年ほどさかのぼります。
今回の「南総里見まつり」は特別に、戦国武将里見氏と八犬士の勢ぞろい。
八犬士は、その生地にちなんだ所からの参陣となりました。
   仁 犬江新兵衛 千葉県市川市
   義 犬川荘助  静岡県韮山町
   礼 犬村大角  栃木県足尾町
   智 犬坂毛野  神奈川県小田原市
   忠 犬山道節  東京都練馬区
   信 犬飼現八  千葉県館山市
   孝 犬塚信乃  東京都豊島区
   悌 犬田小文吾 千葉県市川市

 なぜか今σ(^_^)は、韮山に住んでいる。
 小学校6年生以来、お守りとして文字の浮き出ているビー玉を持っている。
 それも「義」だ !!
 駆けつけないわけには行かない。これは、宿命にちがいない !!

 里見まつり当日の段 朝イチ編
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  民宿で朝食をしていると、女将さんから隣の方も「八犬士で出られるんですよ」と。隣の方はご夫婦で、ご主人はひげをたくわえらえている60位の方。相互に自己紹介をすると、小田原から参じた、犬坂毛野さん。たくましい方だ。聞けば小田原での北条五代まつりなどで手作り甲冑隊の会長さん。今年の五代まつりに館山の人が参加したそうで、ご縁で参加しようと決意したとのこと。
  食堂にまた家族3人の面々、女将さんが「この方たちもご一緒です」と。聞くと市川からの参加で、おじいさんと孫とそのお母さんかな。(家族構成は聞かなかった)
  で、その年配の方が新兵衛で、孫の小学4年生の男の子が小文吾。かわいい小文吾。
  ほかに里見まつりの号外で、館山出身の現八役の方が載っていて、還暦の記念に参加とのこと。
  朝、出立までに5人は判明。平均年齢が高くなりそう。で、動機が人生の記念に甲冑武者になってみたいということのようだ。



お祭りには、山車。
合計22台もの山車が集合。










 Re:里見まつり当日の段 出陣式編
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 朝9時に、安房西高校の体育館に集合。すでに参加の子どもたちや武者の方々が着替え中。受付もそこそこに、目の前にσ(^_^)の鎧。朝食であった犬士も見えていました。着替えまでは少々時間があり、主にたくましい毛野さんとお話。地域が近いだけに知人などの共通項が多いので。ほかの犬士さんは角太郎さんは自衛隊(館山に施設がある)の方で足尾出身とのこと、道節さんも同様らしい。残る信乃さんは、なんと若い女性の方。
 9時半くらいから着替えはじめ。足袋はいて、襦袢着て、袴はいて…だんだんそれらしくなってくる。鎧は腹巻というタイプ−戦国時代の一般型。館山の博物館などで着られるようなので、着せてくれる方が何人かいらっしゃいました。
 特にリハーサルや打ち合わせもなく、11時半にバスに乗り込み、館山城へ。天守の下で野点で、お茶をいただきました。市長さんも義実さんに変身していました。
 フラフラと歩いているだけで、写真を撮らせてくださいの声。一番人気は、かわいい小文吾さん。
 少し信乃さんと話をしたけど、彼女は八犬伝ファンでした。ただどの八犬伝から入ったかは聞けなかった。新八犬伝ではないことは確か。
 天守から下の城山公園へ八犬士列をなして歩いていると、沿道で判っている人と、「みんな犬がつくなぁ」とよくわかってない人と、半々くらい。
 公園に隣接の駐車場のほうは、神輿や大きな山車が出ていて、若者はハイになっていました。
 公園では出陣式。珍しくσ(^_^)上座。アトラクションで火縄銃の発砲があり、轟音がとどろきました。閧の声を上げて、いざ出陣。といきたかったけれど、神輿や山車がなかなか前に進まず、しばし立ち止まり。でも威風堂々の隊列!

初代里見義実、6代里見義弘
 ゲストの武田信玄(館山市と山梨県石和町が姉妹都市)
  そして八犬士の面々















里見水軍の出陣
丶大法師に続いて八犬士



  オレンジの旗は犬川さん


子どもたちも手作り甲冑を着て出陣





里見まつり そのもののこと
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 そもそも「南総里見まつり」について。(行ってからわかってきた)
  昭和56年から「町おこし・村おこし」事業の一つとして、やるようになったということです。戦国時代を生き抜いた安房の覇者なので、戦国ロマンを再現して、民俗芸能と共に市民ぐるみのイベントをして、館山市民の郷土愛を育み、観光客を招くというものです。
 だもんで、里見といってもクローズアップしているのは、安房里見6代目の義弘です。代々の中で最も小田原北条と激戦を繰り返し、一度は今の千葉県を席巻しました。が、その後年市川の国府台の戦いで敗北してから、衰退していきました。
 ということで「南総里見まつり」でも総大将は、里見義弘です。今までのこのイベントでも、里見義弘と里見水軍+手作り甲冑隊+初代里見義実という構成だったようです。つまり、八犬士はあまり出ていなかったのかもしれません。
 地元の人も、里見氏と里見八犬伝をどう分離して、どう両立させるか悩んでいるようです。八犬伝が実話だと思っている人も多いようです。
 で、今回は20回の記念として、八犬伝もまつりの要素に加えたような感じです。(見聞きした範囲で)
 σ(^_^)も里見氏自体のことよく知らなかったので、この両日でだいぶ勉強になりました。

里見まつり 当日の段 決戦!北条海岸
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 13:00ころから、市内のパレード。ぞろぞろと歩いていきたい、ってところだけれど、みこしや山車が先のほうで暴れまくっているようで、パレード中はほとんど立ち止まり状態。義実さんの市長は馬にまたがっていたけど、馬が退屈していた。市長は町の人から指示を受けているようで、若い衆からも応援の声がかかっていた。
 歩きながら(立ち止まりながら)、兜がなくてよかったと実感。この日は適当に曇っていて、涼しい風が吹いたので、歩き心地はよかったです。
 館山駅前で、多くの観衆に出迎えられましたが、馬はあまりの歓声で驚き、興奮し、市長さんも大変。で、馬は退場。里見軍ご一行は、ここでまた閧の声や火縄銃の号砲。その後、20分間朝の高校に戻って休憩。
 そこから北条海岸までパレードして、「里見水軍戦国合戦絵巻」の部。八犬士は名を呼ばれて、ステージまで走って行くという段取り。今回のσ(^_^)も唯一の見せ場だったかも。忘れていましたが、今回はゲストで武田信玄がいます(@_@) これは20周年ということで、姉妹都市の山梨県石和町の助役をはじめご一行が参加しました。挨拶などがあった後、物見の騎馬武者が“敵襲来”を告げ、自衛隊の方や海上技術学校の方が扮する里見軍と北条軍の戦いが海岸で繰り広げられ、時折鉄砲隊が撃ち鳴らし、北条撃退で幕を閉じました。σ(^_^)たちは見てるだけ。
 5時が近づくとだいぶ日が傾き、イベントが終了し、帰陣しました。
 体育館に戻って、サッサと着替え、帰りのフェリーのことがあるので、急ぎ退出しました。全体的にみな、名残りが薄かったみたい。
 おみやげに、発泡スチロールの箱をもらって帰りました。干物かなんかかなぁと思って。σ(^_^)は「義」の珠がもらえると思っていた(;_;)
 この箱のことはしばらく忘れてて、翌日の晩思い出してあけました。なんと、(@_@)生サザエ10数個。さっそく天塩で塩水を作って入れたところ、ニョキニョキ出てきました。みんな元気に生きている。どうしようかと考えているところ、サザエとつい目が合ってしまい、食べる気がなくなってしまいました。翌日職場で全部分けてしまいました。

舞台裏の一番の苦労。・・・トイレかな。
  男性は鎧を着てトイレに行きましたが、一人当たりの体積が大きいので、トイレに入れる人数がとても少なく、苦労しながらも着たまま用を足しましたが、女性はどうしていたんだか。女性である信乃さんは一体どうしていたんだか謎です。
  でも意外と、当日はあまり行かなくてもすみましたが。
 
  閑話休題。

 「・・・・さて、十月二十一日は館山里見祭りでT様のさっそうとした犬川荘介のお姿海岸で拝見いたしました。オレンジ色に犬川荘介義任と染め抜いた旗を背に、勢い良く壇上に登る姿、人々の頭の間からチラリと見えました。遠くから出かけて夜まで大変だったと存じますが、お天気にも恵まれて最高だったのではないでしょうか・・・右、T様の様子、お知らせまで・・・」
 
  ↑以上は伊東万里子様からのお手紙のお言葉です!
  (「T様」の所は文面では本名でしたもので、頭文字にて・・失礼しました)

館山市役所からの贈り物
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 今日、館山市役所から宅配便が届きました。
  なんだろうと思って中を見ると、
  ビデオテープ&スナップ写真、関連新聞記事のコピー!
  なんと粋な計らい。
  スナップ写真は、あまり数がないので非常に助かりました。
  関連新聞記事は、地元の房州日日新聞というもので、まつりの前の盛り上がりから当日の模様までの記事でした。
  ビデオは、地元のCM入りでした。近々友人から千葉テレビのビデオが送られてきますが、それと見比べてみたいと思います。このビデオはテレビ番組から録ったみたいで、左端に9:00台の時刻が写っていました。千葉テレビでの放映はたしか夜7時台だったし。でも出だしは、「お城の前の広場で、お茶を頂く“役者さん”達の姿。」
  いずれにせよビデオの内容は、21日のまつりがメインでした。全体の様子が見ることができました。
  なお、当日参加のお礼の言葉が同封されていました。白のコピー用紙にワープロソフトで謝辞の書かれている、市長名のものなのですが、いただいてみると案外うれしいものです。受け取る側には、その一枚にいろいろな思いを入れるのでしょうね。自分でもしらけながら、上役の名でタイプした感謝状を出すことがありますが、受け取る方のことを思うと、おろそかにできないということがわかりました。
  ( ^^)/~

館山は、私たちのふるさとだ(^o^)丿