σ(^_^)の見た富山(とみさん)伏姫伝説を訪ねて

まずはJR線岩井駅前の伏姫様

   
                   富山中腹の伏姫籠穴の入り口

 里見まつり前日の段 午前編
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  車で伊豆を6時半出発。まず横須賀の久里浜へ向かい港からフェリーで、千葉の金谷に9時半、意外と早い。
  岩井駅10時15分着。伏姫と八房の像を参拝。駅近くに喫茶「しんべえ」があるんですね。
  富山駐車場にから伏姫籠穴まではすぐなんですね。今工事中でしたが、ふだんは車で行けるようですね。門をくぐって階段を上っていくと、八角形の伏姫舞台という休憩施設があり、八角のそれぞれの頂点の柱に八犬士の名と、その柱の前に仁義礼智忠信孝悌の各文字がありました。
  籠穴の脇に水が滴っていて水がたまっていたので、顔を洗ってビー球を洗い清めました。ビー球がビー珠になったような気がしました。
  籠穴の前には柵があるので、中には近寄れません。
  でも少しでも中をのぞいてみたい。
 
  ◆もの凄いことが起こりました。
  籠穴内をビデオでズームインしたら、珠の文字がみえました。最初に「礼」の文字がビデオモニターに浮かび出て、カメラをふったら「仁義礼智」の珠(わりと大きそう)が…。これを見た人はあまりいないのでないでしょうか。ちょっとバクバク!
  その柵の下に白い小石があったのでおもむろに拾いビー珠といっしょにしました。 そこから富山に登り始めました。たしかに行った人でないと判らない急勾配の階段 で、長い。水筒がないと厳しい(持ってない)。ようやく山頂。登りきったら「八犬士 終焉の地」の標柱。で、来た道を降り、駐車場に戻る。富山中学校生が「こんにち は」と挨拶してくれました。
  犬掛まで車で。里見氏の墓、八房・狸の伝説の像、春日神社。ここのお堂に山車が出ていました。お祀りだったのでしょう。
 
  南総里見フォーラムが始まるので、一気に館山へ。

  籠穴への登り道


籠穴へは立ち入り禁止!
    赤丸に籠穴がある



なんと籠穴に宝珠が現れる !!

 里見まつり前日の段 午後編
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  富山町から館山へ移動して、総南文化センターへ。始まって20分経っていました。
  ちょうど千葉経済大学の川名登教授の講演「里見氏と地域の人々」をやっていました。「里見氏はよそから来て、安房を治めることになり、民の声を聞くことが肝心だった」というような締めでした。
  つづいて「里見サミット」堂本千葉県知事、群馬県榛名町長代理、館山市長、鳥取県倉吉市長、鳥取県関金町長がパネラーになりました。
  群馬県榛名町は、里見氏出身の地。旧里見村。
  鳥取県倉吉市は10代忠義の転封の地で、その後隣の関金町に幽閉されて3年後本家は断絶。
  堂本知事は母方が10代忠義の弟の系統。曽祖父の代に千葉・松尾藩に戻る。
  辻田館山市長は、3代義豊の弟or子供の系統だそうです。
  里見氏は、倉吉に移されたときは、まだ安房に戻りたいという念願があり、財産もまだあったらしいのですが、関金に移されたときは落ち武者のようだったそうです。忠義が落命した時に8人の家臣が殉死して、これが八犬士の基になったといわれているそうです。
  本家が、断絶しても全国の大名に抱えられ、現在に至ります。毎年の関金町の祭りのときは、里見の後裔が集まるそうです。
  堂本知事や辻田市長は、「県民・市民本意でやるのが里見流」といっていました。
 
  その後、関金町の子供歌舞伎「南総里見八犬士 堀村館勢揃いの場」を上演しました。関金町の6年生9人とその父兄による熱演で、八犬士と伏姫に扮する子供たちの口上と見栄が決まって、おひねりがだいぶ飛びました。せりふはよく覚えたなと感心、大勢の人の前で頑張ったことに感心しました。
  そして伊東万里子さんの紹介で人形劇、劇団貝の火「南総里見八犬伝−芳流閣」。
  人形は川本喜八郎の手が入っているようです。主な登場は犬山道節、犬川荘助、浜路、左母次郎、犬塚信乃、犬飼現八。人形一体につき3人がかりで、操作の大変さがじかに見られてわかりました。
  日も暮れてライトアップされている館山城にのぼりました。