入 出 国

☆ビザの取り方
ドイツ民主共和国大使館へ、パスポートや必要書類などを持って
申請します。観光で行くときは、国営旅行社ライゼビュローが発行
したバウチャーが必要。



     
                             ビザが送られてきたときの頭紙

              

↑ビザのメイン、パスポートにはさんでおきます
←パスポートに押されたビザ
  ビザ料金は 1回限り1800円、数次ビザ4800円



←通過ビザ5マルク(約600円)
    国境で取れます











バウチャーは、ホテルの予約&予納証明書のことで、あらかじめ宿泊先を決めておかないと
入国できないので、ビザの発行のときに必要です。あらかじめこれをとるのが面倒。
適当な旅行社でホテルを決めてもらって、予約金を支払うので、結構手間と費用がかかります。
(バウチャーの写真なし)

 入出国で押されるスタンプ DDRの右に注目!
船での入国には 船のマーク  チェックポイントを通るときは車のマーク(徒歩でも)
     電車のときは電車のマーク(上のVISAに押されている)

入出国にはお金の管理が厳しいです。で、以下のような書類をずっとパスポートにはさんでいました
             

           いくら両替したかっていうことでしょうね。↓
 

★珍しい罰金の領収書
1986年の旅行のとき、滞在ビザでトラブル。
3日間の不法滞在(法的には)。
←そのときの文書をよく見たら、罰金になっていた。
50マルク(約5000円の価値)。
今になって、やられたと思った。^^;
手続きが難しかった社会主義国の時代。

 ★DDR拘束事件発生 !!
1986年(昭和61)1月3日午後10時ころ

東ベルリンからの帰路、Berlin-Friedlich Strasse駅にて

このとき、12月30〜31日は東ベルリンのホテルに宿泊。宿泊 Visa有り。
31日〜3日までZittauの知人宅を訪問&滞在。
その間のVisaはない
で、3日西ベルリンに戻るときに、東から出国できず1時間ほど拘束されこの間、どこにいて、何をしていたか訊かれる。biku biku
なれない英語を使って。
いずれにせよVisaがないと戻れない。
どうしたらVisaをもらえるか尋ねると、国営旅行社でもらわないといけないとのこと。
国営旅行社は、Alexander Platzの先にある。
時刻はすでに11時近い。外気温マイナス20度
駅から小雪の舞う中、走った、走った。15分。
東側の夜中は、静か。戒厳令下のようなもの。
国営旅行社のインターホンで叫ぶ。
「Visum Problem. Ich bin Japaner !」
しばらくして、ドアを開けてくれた。ふつう、日本でもこんなことはしないと思う。
それから担当官と、どこでどうしたとか話して、怪しいものでないと思ったのか、
ビザを発行してくれた。そしてこの罰金を支払った
また、一路駅へ走り、誇らしげにVisaを見せてS-Bahnに乗る。午前0時ころ。
この時間S-bahnが走っていたのも、すばしい。
西ベルリンに行き、ホテルを取るのも面倒なので、深夜映画館に入った。
「コクーン」をやってた。朝5時に終幕で、映画館も追い出される。