エッ、東京湾にアシカが・・・?!

「悲劇の海獣」ニホンアシカの絶滅

はじめに −レッドデータブック−
 25年後に日本に生育・生息する野生動植物のうち、絶滅の恐れのある野生動物の種を
リストアップしたデータ集、通称日本版レッドデータブックを1991年に発行しました。
(正式名称:「日本の絶滅の恐れのある野生生物−脊椎動物編」、「同−無脊椎動物編」)
 最近ではこのリストにメダカも入り話題になりましたが、すでに「絶滅を宣言」された国産
生物がいます。「絶滅種」とは、過去に日本に生息したことが確認されているが、すでに
絶滅
したと思われる種または亜種 のことです。哺乳動物の絶滅種は、ニホンオオカミ、
エゾオオカミ、
オガサワラオオコウモリなど5種があげられています。絶滅危惧種は、
ニホンカワウソ、
ツシマヤマネコ、イリオモテヤマネコ、ジュゴンなど22種。続いて危急種、
希少種という区分があります。


絶滅動物の話では、トキが話題にのぼり、ニホンオオカミに代表されます。
しかし、だれからも忘れてひっそりと消滅する種もいます。

@アシカ
アシカは、たいてい水族館で見かけます。しかしその出自について考えることはまずない
でしょう。
「アシカ」は、日本語です。外国に行っても「アシカ」といっても通じません。「アシカ」を漢字
で書くと、「
海驢」「葦鹿」などありますが、「海鹿」がわかりやすいと思います。しかし、アシカ
をイメージできない、
ごっちゃになっている人も多いと思います。

アシカメモ
仲間:カリフォルニアアシカ、オーストラリアアシカ、ニュージーランドアシカ、
    オタリア、トドカリフォルニアアシカ

カリフォルニアアシカ 生息数 5万頭、 亜種のガラパゴスアシカは4万頭
オス 体長220cm 体重 275kg、メス体長180cm 体重90kg
体色はオスメスともに暗褐色だが、メスのほうがいくぶん
明るい色調が多い。

オスの成獣は額が大きく発達し、白っぽい。
たてがみはオタリア・トドに比べて薄い。

妊娠期間は11〜12ヶ月、授乳期間は5〜12ヶ月。
食性は、魚類、頭足類、エビなど。

2500万年前にクマの仲間から分かれ、2000年前に原型ができた。
いわゆる海獣類には、クジラ目、鰭脚目、海牛目に分けられます。
鰭脚目は、アザラシ科、セイウチ科、アシカ科に分かれます。
さらにアシカ類に、アシカ、トド、オットセイに分けられます。

Aアシカの特徴。類似品との比較。
・アザラシとの差異
 アシカとアザラシの関係は、実はまだよく判っていません。
 アシカもアザラシも、水の中を活動場にしているので、アシが
ヒレになり、体温が下がらないように

脂肪をため込むのでよく肥えて、大体同じような体型になってい
ます。違うのは、アシカには耳がチョコン

とついていますが、アザラシにはありません(耳の穴だけがあります)
 それと泳ぎ方ですが、アシカは前ヒレをボートのオールのように水をかき分けて泳ぎますが、
アザラシは
後ろ足ヒレで日本の昔の船の櫂のように、また魚類の尾ビレのように左右に動かし
て泳ぎます。

 あと、前ヒレはアシカは長くオカで体を支えられますが、アザラシは短いのでオカに上がると、
丸太か
芋虫かという情けない姿になります。アシカは陸上でもけっこう速く走れます。
 もう一つ。アシカの種類は大きくオットセイやセイウチぐらいで、カリフォルニアアシカ・オースト
ラリアアシカ
などといってもそんなに大した違いはありませんが、アザラシはゾウアザラシもいれ
ば、ゴマフアザラシや
ヒョウアザラシなど体の大きさ、形、模様などバラエティーに富んでいます。
 好奇心はアシカ同様、旺盛のようです。よく水族館のアザラシ水槽には、ボールやタイヤなどが
用意され、
これで遊ぶようです。アザラシのショーですが、私はなんと韓国のソウルの水族館で
見ました。輪投げを
したり、スキーの回転のようなポールの交互よけをしていました。考えて見れ
ば、アシカショーはオカで
トレーニングできますが、アザラシは水中でトレーニングして水中でショー
をしなければならないので、あまり
多くでやっていないのでしょう

・セイウチ
 これは1種類しかありません。牙が特徴です。でかいからだのわりに甘えん坊です。
アシカとは遠い先祖が同じようです。

・オットセイ→トド→アシカ(進化の順) アシカ科
オットセイ(膃肭臍・アイヌ語onnew) アシカ科のプロトタイプ。
アシカとオットセイの違いは、アシカの方が大きいく、鼻面が太くて短い。オットセイは、鼻先が
細くとがって
いる。四肢はオットセイの方が長い。毛皮はオットセイが長毛、アシカが短毛。オット
セイのほうは外洋に
生活域があり、両極地に近い亜寒帯に住む。アシカは温帯の沿岸に住んで
いる。トドは北海道以北にいる
ジャンボアシカといったところ。気が荒い。オットセイとアシカの間
で雑種はできるが、ほとんど死産か生存
24時間以内である。

Bニホンアシカの記録
ニホンアシカは、つい50年ほど前まではふつうに生息していましたが、
本格的な研究をされる
こともなく
姿を消してしまった動物で、その原因の一つとして乱獲説がある、
「悲劇の海獣」です。

・石器時代には、貝塚からアシカの骨が出てきます。食べていた形跡があります。
・古代 古事記・日本書紀に出てくる。「海幸彦・山幸彦」
    水霊・水神としての位置づけされていた。一方油や食肉としても利用していた。
・近世 海獺・トドとして紹介されている。トドは、ニホンアシカを指す。
 

Cニホンアシカの分布

 かつては日本全国に分布しその痕跡は、アシカ島・岩・根(orトド)など地名として残っている。
三浦半島、伊豆半島、御前崎にも地名が見える。
伊豆半島は、伊東のほかに、戸田村井田にある。
伊豆諸島・新島郷土館にはアシカを捕獲する鉄製の銛が残されている。

Dニホンアシカの生態


 水族館にいるカリフォルニアアシカの亜種とされる。
体長が250cm体重350kgの例があり、カリフォルニア
アシカ
に比べて体型が大きい。





E絶滅への道

@)東京湾アシカ島の場合
1720年(享保5)以降 冬になると江戸から幕府の役人が浦賀に滞在し、15〜20日間中による
アシカ狩りが
毎年、約100年以上にわたり行われた。どの程度の量かは不明。アシカは10m位
まで寄っても逃げない。
漁師は自主的にアシカに手を出すことはなかった。アシカは執念深く、
仇を討つという信仰があった。

 漁業技術の発達とともに、アシカが網を破るなど被害が出始め、明治中頃から漁師は、競っ
てアシカ駆除を
はじめる。
 明治中頃ではすでにアシカを東京湾で見ることは難しくなった。1909年(明治42)の記録による
と、すでに
アシカの住んでいる形跡がなくなった。明治40年代には銚子以南〜伊豆諸島では消
滅した。


A)日本海竹島
 竹島にはよく生息していたが、明治37年より本格的なアシカ猟が
始まった。昭和16年までに報告上
約16,500頭のアシカが捕獲され
ている。昭和28年〜31年、竹島駐留の韓国漁民が毎年10頭のアシカ
食用や油をとるために捕獲していたが、昭和32年から突然姿を
消してしまった。これが消息の公式記録で
ある。その後近海で1972年、
1975年に目撃例がある。

 戦前の西日本の動物園・水族館では、ニホンアシカを飼育していた。

Fニホンアシカがいる
   ライデン博物館 3体
     大英博物館 1体
     島根大学 1体
     出雲高校 1体
   天王寺動植物公園 6体
   大社高校 1体
   浜田高校 1体

Gまとめ
 日本では古来より沿岸にあたりまえにいたアシカだが、明治期より漁業の拡大と猟銃の進歩
により
駆逐され、気がついたときには消滅し、研究もされていなかった。伊豆諸島では乱獲、竹
島でも乱獲が
原因であるが、真の原因はまだ判っていない。しかしまだ、日本海対岸の沿海州
での調査は行われて
いないので、まだ希望を捨て去るのは早い。

トップへ戻る